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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)9683号 判決

原告

和田徳之

右訴訟代理人弁護士

青柳孝夫

榎本武光

被告

有限会社 大塚印刷

右代表者代表取締役

横山章三

右訴訟代理人弁護士

荻野陽三

田部井俊也

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者双方の申立て

(原告)

「1 原告が被告に対し雇用契約上の権利を有することを確認する。

2 被告は原告に対し三五一万六、八四〇円および昭和四七年七月以降判決確定まで毎月末日かぎり九万、六九〇円を支払え。

3 訴訟費用は被告の負担とする」との判決ならびに2項につき仮執行宣言

(被告)

「1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第二当事者双方の主張

一  原告の請求原因

1  被告は騰写印刷、タイプ印刷等軽印刷を業とする会社であるが、原告は昭和四三年一一月下旬被告に筆耕職の従業員として雇用され、それ以来被告会社において騰写印刷筆耕の業務に従事してきた。

2  原、被告間の雇用契約の内容は、賃金は出来高払いで、五ミリ原紙一枚につき一八〇円を基本単価とし、右以外の場合も原紙一枚の単価を定め、毎月二五日締切で月末払いの約であった。勤務時間はとくに定められていなかったが、一ケ月のうち二〇日位徹夜作業があり、原告らはこれを拒否できない状態であり、また勤務場所も被告会社に限られず、自宅でも作業を行なうこともあったが、それらは筆耕という仕事の性質によるもので、通常の勤務形態をとりがたかった。

さらに被告は原告らに対し、筆耕作業のほか、校正、訂正等の仕事をも命じ、原告らはこれらの業務にも従事していたのであり、被告の指揮監督下に組み込まれていたものである。ちなみに被告は昭和四三年一二月末に原告らに対し他の従業員と同様に年末手当として五、〇〇〇円を支給したが、これは被告が原告ら筆耕者をその従業員として取扱っていたことを示している。

3  しかるに被告は昭和四四年七月一〇日以降原告を被告の従業員として取り扱わず、賃金の支払いをしない。

原告は被告から次のとおり賃金の支払を受けていた。

昭和四四年三月分 九万九、七六五円

四月分 一〇万六、二四〇円

五月分 一〇万一、三二〇円

右三ケ月分を平均すると月額九万七六九〇円となる。

右月額賃金に基づき昭和四四年七月一日以降昭和四七年六月までの未払賃金額を算出すると三五一万六、八四〇円(算式97,690×36=3,516,840)となる。

4  よって原告は被告に対し、雇用契約上の権利を有することの確認と三五一万六、八四〇円および昭和四七年七月以降、一ケ月九万七、六九〇円宛を毎月末日かぎり支払うことを求める。

二  被告の答弁、主張

1  請求原因1項のうち、被告会社の業務内容および原告が被告の騰写印刷筆耕の業務に従事していたこと(ただしその始期は争う。)は認めるが、契約関係は請負契約としてであって、雇用契約ではない。

同2項のうち、原、被告間の契約内容のうち、筆耕代金の支払方法、勤務時間が定められていなかったこと、勤務場所の点は認めるが、被告が原告に対し、筆耕作業の外、校正、訂正等の仕事をも命じたとの点は否認する。右作業は原告らが自発的ないし好意的に行なったにすぎない。また被告が原告に対しその主張の頃五、〇〇〇円を支払ったことは認めるが、それは、越年のための餅代を筆耕請負代金の割増の形で支払ったものである。

同3項の主張は争う。

被告が昭和四三年八月以降翌四四年七月までに原告に支払った金員は次のとおりである。

支払日 金額

昭43・8・31 三万三、四〇〇円

9 なし

10・31 五万七、八六〇円

11・30 六万四、八二〇円

12・30 五万七、二四〇円

昭44・1・31 一〇万三、九〇〇円

2・28 九万五、八八〇円

3・31 一〇万〇、〇六〇円

4・30 一〇万六、〇九〇円

5・31 一〇万〇、〇〇〇円

6 なし

7 六、二四〇円

右によれば、昭和四四年五月から七月までの三ケ月平均支払額は三万五、四一三円であり、同年二月から七月までの六ケ月間の平均支払額は六万八、〇四五円(支払のなかった六月分を除いて五ケ月の平均を算出すると八万一、六五四円)、昭和四三年八月から四四年七月までの一ケ年間を平均すると一ケ月六万〇五四一円(支払のなかった二ケ月を除く一〇ケ月の平均をとっても七万二六四九円)である。

なお被告は原告に昭和四四年七月分の六、二四〇円を支払っていない。

2  原告は昭和四一年八月頃より被告会社の筆耕業務を請負っていた。当初の契約内容は、筆耕単価の定めのほか、報酬(筆耕代金)の支払は、毎月二五日締切りで、一ケ月分まとめて月末払いの約であり、代金の請求は一ケ月分まとめて請求書によってなし、被告がそれを確認、査定して支払うこと、仕事の発注は、被告において原告に依頼したい仕事が入れば、電話等で原告に連絡して申込み、原告が承諾すれば発注し、発注の都度具体的仕様を示し、かつ納期を定めて受注伝票をもって行なうこと、原告において諾否は自由で、被告会社以外の仕事をしてもよいこと、筆耕騰写に必要な器具代は原告が負担すること(食事代も原告の負担)などであり、そのほかに、勤務時間、勤務場所、休暇等については全く定めがなかった。

原、被告間の筆耕請負は右のような契約ではじまり、昭和四二年二月頃まで続いたが、その間原告に依頼すべき仕事がなかったり、原告が被告の依頼に応じなかった時期もあり(昭和四一年一〇月、一二月、四二月一月)、仕事の受注状態は不定であった。

また原告は被告会社の作業場を使用したり、納期の関係上宿泊することもあったが、大部分は自宅で仕事をしていた。

昭和四二年二月から翌四三年一月頃まで、原告は被告からの依頼に応じなかったため、原、被告間の筆耕請負関係は中断した。

昭和四三年二月頃から、原、被告間の筆耕請負契約が再開されたが、筆耕代金の単価が上った外は、当初の契約内容と殆んど変らず、昭和四四年七月頃まで同様な請負契約関係が続いたが、その間も当初の時期と同様、仕事量、報酬額は不定であった。

原告が雇用契約が成立したと主張する昭和四三年一一月頃も右契約関係は全く変っていなわった。ただその頃から原告の請負う仕事の量が増加し、報酬支払額が増加した外、仕事の場所が比較的被告会社において行なうことが多くなってきたことはある。

3  原、被告間の筆耕に関する契約は、右のような契約内容およびその履行状況からみて、原、被告間には、雇用契約における使用従属の関係は存せず、各筆耕の依頼ごとに(被告の申込みと原告の承諾)成立する個別的な請負契約であったことは明らかである。

そうでないとしても、被告が原告に対し筆耕の請負方を申込み、原告において当初定めた単価一定の条件でその請負を承諾することができる旨の期間の定めなき基本的筆耕契約が存在し、それを基礎として、各筆耕依頼ごとに具体的な請負契約が成立していたものというべきである。

4  被告会社には、タイプ、印刷関係等の従業員が雇用されており、これらに従業員については、就業規則等により勤務時間(始業および終業の時刻)、休日、休暇、時間外勤務等について定めがあり、賃金についても基本賃金のほか家族手当等、期末賞与についても具体的な定めがなされており、労基法に基づいて賃金台帳を作成し、所得税等を源泉徴収し、健康保険料等も控除している。しかるに、原告ら筆耕請負者については右のような定めはなんらないし、賃金台帳も作成しておらず、所得税等の源泉徴収もしておらず、健康保険にも加入させていない。

これらの点からみても、原、被告間の筆耕に関する契約は雇用契約でないことは明らかである。

5  本件請負契約の終了

(一) 原、被告間の筆耕請負契約は前記のように被告の各筆耕依頼ごとに成立する個別契約であるところ、昭和四四年七月三日を納期とする契約を最終とし(七月七日をもって終了)、その後原、被告間にあらたな請負契約は結ばれていない。

(二) かりに、期間の定めなき基本的請負契約であるとしても、被告は同年七月一〇日原告に対し右基本契約を解除する旨意思表示をしたから、同日をもって右請負契約は終了した。

三  被告の主張に対する原告の反論

1  原告が被告主張の頃から被告会社の筆耕業務に従事しており、その間仕事量が不定であったことは認めるが、右も雇用関係であり、ただ当時は原告が自己らの民事訴訟事件に関係していたため、臨時雇の従業員として勤務していたのであり、臨時雇の関係上、仕事の受注の諾否が自由とされていたが、その他の点では通常の正規従業員の労働条件と異らなかった。

そして被告主張のような詳細な取決めはなく、賃金の支払も現実には被告主張のように行なわれておらず、筆耕用具も被告会社において仕事をするときは被告のものを使用していた外、被告会社で夜勤するときは食事も支給されていた。

昭和四三年一一月頃にいたり被告の申入れにより原告は被告会社の正規従業員として雇用されたものであり、それに伴い右時点以降原告の仕事量および筆耕報酬が増加したのである。

2  元来請負契約の目的は仕事の完成という結果にあり、完成の義務不履行の場合には、注文者は報酬支払義務を負わないところ、本件の場合、筆耕の仕事の完成という自体明確ではない。

すなわち、原稿を原紙に書を写す筆耕労働は、その後に校正、訂正の仕事が続き、これらが終らなければ印刷ができない。被告は注文主から印刷物完成を請負っており、この騰写印刷完成の工程は、被告会社側の進行係が管理しなければならない。したがって、筆耕作業のみ単独に下請させるということ自体、右作業工程上無理がある。しかも筆耕については、一つの原稿を分担して行なうこともあり、また一人の筆耕者では時間的に間に合わなくなると、中途でその作業の再分配等も進行係が行なう。本来の請負の場合のように、請負った仕事は、請負人の責任で最後まで行なうという形はとられていない。しかも行なった仕事量(枚数)に対して必ず報酬が支払われている。もし本来の請負であれば、納期に全部の仕事が完成できなかったり、遅滞すれば、報酬は支払わないが、原告らの場合はそうではない。

したがって、本件の筆耕に関する契約は請負契約ではなく、雇用契約である。

3  被告が原告ら筆耕者について、賃金台帳を作成せず、所得税等の源泉徴収をしておらず、社会保険等に加入させなかったという事実があるからといって、それらは雇用契約の成立を否定するものではなく、被告会社の労基法、税法違反等の問題を提起するのみである。

元来騰写印刷の業務を行なう軽印刷業界では、とくに、筆耕関係については非近代的経営がなされており、実質上雇用関係にある筆耕職従業員についても、請負契約の形式をとり、社会保険にも加入させていない事業所がきわめて多く、被告会社もそうである。

第三証拠関係(省略)

理由

一  被告は騰写印刷・タイプ印刷のいわゆる軽印刷を業とする会社であり、原告が被告会社の筆耕騰写の業務に従事していたことは当事者間に争いがない。

そこで、まず原、被告間の筆耕に関する契約の法的性質―雇用契約か否か―について以下判断する。

二  成立に争いがない(証拠省略)を綜合すると以下の事実が認められ、右認定に抵触する前記各証人の各証言部分および原告本人の供述部分は前掲各証拠に対比して採用せず、他に右認定を左右する証拠はない。

1  被告会社の概況、筆耕者の契約内容など。

被告会社は昭和三九年七月に設立され、当初タイプ印刷業として発足したが、間もなく騰写印刷にも手を染め、両者の業務量および収益の割合は、昭和四三、四年当時もタイプ印刷が六割ないし七割を占めており、受注先(得意先)は官庁関係が多い。

被告会社には従業員としてタイピストや印刷、製本関係の業務に従事するものが常時約一〇名雇用されているほか、騰写印刷の関係では、筆耕の業務に従事する筆耕契約者(以下単に筆耕者という。)が昭和四一年当時四名位であったが、昭和四三年には七名に増加し、その間昭和四二年頃から筆耕者の一部について専属制をとるようになった。ちなみに東京都内にはきわめて多くの中小規模、零細規模の軽印刷業者がいるが、被告と同様、従業員数一〇名ないし二〇名程の小規模のものが圧倒的に多い。

被告会社の場合、右のタイピスト等従業員については雇用契約の下に、就業規則等により、勤務時間を午前九時から午後五時までとし、休日、休暇、時間外勤務等が定められ、給与について基本賃金のほか、家族手当、通勤手当等諸手当の定めがあり、昇給は年二回、さらに夏期および年末賞与が支給されており、退職金も支給されており、所得税等の源泉徴収、厚生年金等保険料の徴収控除がなされ、就業規則には懲戒や解雇事由について明記されている。これら従業員の給与は、昭和四一年ないし四三年当時、タイピストが二万ないし三万円前後、印刷、製本係のものは五、六万円であった。

他方筆耕者については、基準単価に基づく出来払制で筆耕料が支払われ、筆耕者の技倆、業務従事期間等と関係なく、筆耕者一率に、五ミリ原紙一枚の基準単価を定め(四ミリ、三ミリ原紙については若干割増)、筆耕料の支払は筆耕者側の提出する請求書を被告側で受注伝票と照合の上確認、査定の上、原則として毎月二五日切、各月末に一ケ月分まとめて支払い、筆耕者において領収書を発行するという方式がとられていた。専属の筆耕者については月額五、〇〇〇円ないし七、〇〇〇円が固定給、通勤手当として支給されるが、右の筆耕単価は非専属者(いわゆるフリー)より原紙一枚につき一〇円程安く定められていた。これら筆耕料に対し所得税等の源泉徴収はなされず(筆耕者個人において、事業所得の申告をした上納税する者もあり、申告、納税をしていないものもあった。)、各種保険にも加入させられず、退職金等の支給もなされなかった。筆耕者の収入は概して前記従業員より高額であった。専属の者は被告会社の仕事を優先的に行なうことが要請されるが、筆耕代金について最低保証金額などの定めはなく、仕事のないときは他社の仕事をしても差支えなかった。他方非専属の者は、被告からの仕事の依頼に対する諾否は自由であった。

またこれら筆耕者については就業規則等の適用がないことを前提に、勤務時間、休暇等の定めはなく、勤務場所も原則としてとくに指定されておらず専属者でも午前中に出社すればよく、退社時間も自由であり、納期の関係で、被告会社に泊り込んで作業することもあれば、夕方に注文が入ればその原稿をもって帰宅して仕事をしてもよかった。他社の仕事もしている非専属者の場合はより自由で、電話や電報で仕事の有無の確認、依頼がなされたが、出社して仕事をすることもできた。

筆耕者が被告会社で作業をする場合、専用の机はないが、長い机がおかれていて、適宜空いた場所を使用することができたが、各筆耕者が座る場所は慣例的におおむね決まっていた。

2  昭和四一年八月頃から昭和四三年一〇月頃までの原告の契約内容、業務量など。

原告はそれまで農林省関係の農林共済会において筆耕業務に従事していたが、業務の廃止によりやめさせられたため、民事訴訟を提起する一方、昭和四一年八月頃から被告会社の筆耕業務に従事するようになった。その際の契約内容は、筆耕料について、五ミリ原紙一枚一二〇円を基準単価とし、四ミリ原紙一六〇円、三ミリ原紙二五〇円、至急のもので、徹夜作業を要する場合特急料等として右各単価に二〇円の割増、筆耕料の支払は前記のとおり一ケ月分まとめて月末払(原告の依頼により仮払として、月の中途で一部が支払われることもあった。)、仕事の発注は注文主から仕事が入れば被告において電話等で原告に仕事を依頼して申込み、原告が承諾すれば、原告と仕事の内容、納期等を記載した受注伝票を渡して発注すること、筆耕料の支払方法は前記のとおり原告において一ケ月分の仕事の内容、金額を記載した被告において確認、査定して支払うこと、所得税等の源泉徴収はしないこと、筆耕用具については原紙のみ被告が負担すること等基本的事項について明示ないし黙示の合意がなされたが、それ以外に勤務時間、休暇、勤務場所等の約定は全くなかった。

ただ夕方発注、翌日納期というような緊急の仕事の場合、被告会社において徹夜作業を行なうこともあったが、原告の場合、自宅が近いため、自宅で仕事をすることが多かった。

この期間原告は自己の民事訴訟事件に関与していたほか、旭印刷や石橋印刷の筆耕業務にも従事していたため、被告会社における筆耕の業務量は不定で、筆耕代金額も比較的少なく、昭和四一年八、九月は二万円外であり、一〇月以降原告が被告からの依頼に応じなかったりして、被告会社の仕事を全くしない月やしても少なく、ことに翌四二年二月頃から四三年一月頃の間は原告が全く被告の依頼に応じなかったため、原被告間の筆耕に関する契約関係は中断した。

昭和四三年二月頃原告は再び被告会社の仕事をはじめたが、その筆耕料金は、五月金六、八二〇円、八月金三万三、四〇〇円、一〇月三万七、八六〇円といった状況であった。

3  昭和四三年一一月以降の状況

四三年九月頃原告は筆耕者として訴外栗田昭秀を被告会社に紹介し、栗田は被告の筆耕業務に従事するようになった。栗田の場合、専属の筆耕者として、毎月、固定給、通勤費の名目で七、〇〇〇円を支給され、その代わり筆耕料は基準である五ミリ原紙一枚一七〇円と非専属の者より一〇円安く定められた。

同年一一月頃原告は希望して被告会社の従業員慰安旅行に参加した後、被告に対し、旭印刷の筆耕業務をやめて主として被告会社の筆耕業務に従事する旨申入れ、被告会社側もこれを歓迎した。しかし同年一二月頃被告会社の専務大塚節子から一、二回原告に専属になってほしい旨申入れたが、原告は、他社との従来の関係等から被告会社の業務のみに拘束されるのは困るといい、被告の申出を断るということもあった。

当時原告と被告間の筆耕料の約定は、原則として五ミリ原紙一枚一八〇円、それ以下のものについては若干割増、特急科ないし徹夜作業の場合、二〇円割増(全体として手間のかかるものについては、被告において査定の段階で多少割増をつけることが行われたが、この点に関し、原告は被告と交渉して料金を上げさせたことがあった。)というものであったが、その他の契約内容は従前のそれと変らなかった。

原告はそれ以後被告会社に出社することが多くなり、原告に支払われた筆耕料金額は、一一月六万四、八二〇円、一二月五万七、二四〇円であったが、翌四四年一月以降五月まで、毎月一〇万円内外となった(この内原告は妻との共同作業で出来高を稼いでいた模様である。)。

被告会社に昭和四三年一二月末に雇用従業員に基準賃金の二ケ月未満の年末賞与を支給したが、筆耕者にも越年手当として、筆耕代金の割増のかたちで五、〇〇〇円ないし七、〇〇〇円(専属者の場合)を支給し、原告にも五、〇〇〇円を支給した。

原告は同年一二月頃までは自宅で作業することが多かったが、官庁関係の仕事で、午後ないし夕方に受注し、納期が翌朝というような至急の仕事の場合、原告も被告会社に泊り込んで徹夜作業をすることもあり、ことに昭和四四年一月頃から、被告から指示されたわけではないが、原告の妻が病気のため、日中も被告会社で仕事をすることを希望し、被告会社にいる割合が多くなった。

ところで騰与印刷の工程は、筆耕ができ上ったものについて印刷までに校正、訂正の作業を要するところ、従来被告会社では校正係の女子一名がおり、訂正は大塚節子専務や黒崎美保らが行なっていたが、人手不足の折は、その場にいあわせた筆耕者らも手伝うことがあった。

ことに昭和四四年二、三月頃は原告や栗田らが訂正の仕事にかなりの時間携わったことがあったが、原告は訂正等の作業は本来筆耕業務に含まれないからやらせないでほしい旨被告会社側に申し入れ、その後はやらされなくなった。

4  昭和四四年五月から六月にかけて、原告は割の悪い仕事を割当てられ仕事の配分が不公平であると主張して、その是正方を被告側に申し入れ、ことに六月はその交渉をよく行ない、それらの関係から被告の仕事依頼を断るなどしたため、作業量も少なく、筆耕料金額は三万円位に減少した。七月に入ると原告は再び被告に仕事をしたい旨申し入れたので、被告は大蔵省印刷局から受注した歳入関係の財務諸表等の仕事を、納期を七月三日朝(厳守)と定めて原告に依頼した。その際原告は「妻と一緒にやるから沢山くれ」と申し出たので、大塚専務は七〇枚のうち、冒頭から四〇枚を原告に依頼し、残りを坪木に依頼した。

しかるに原告は七月三日朝にいたり、右大蔵省関係の仕事は、割当部分が字が細かく、数字、表などがあって手間がかかり、割が悪く、配分が不公平だからやれないとして、右仕事を返上する旨申し出た。被告は至急の仕事でもあり、その時点で返えされては困ると伝えたが、結局一七、八枚を原告に依頼することにし、残りを内田某に依頼した。その後原告は再び八枚しかやれない旨申し入れ、被告はやむなく、さらに残りの一〇枚を内田に依頼し、発注先に謝って納期を七月八日まで延期して貰い、原告が仕上げてきた分も含め八日に漸く全部を納入した。もっともその間被告は納期を四日とする、振興事業団の仕事(助成対象者名簿一六枚)を原告に依頼し、これについては原告は仕上げてきた。

原告は七月一〇日頃群馬から帰京し被告に対し仕事をしたい旨電話連絡したが、当時の大塚信子社長は、右大蔵省関係の仕事に関し、当初から断わるのならともかく、一旦引受けた後で右のような形で返上されては困るとして、原告に対し新たな仕事を割当てなかった。原告はこれに対し、休業補償を要求したが、被告は拒絶した。

三  前記認定の事実関係に基づいて次のとおり判断する。

1  一般に、ある労務供給に関する契約が雇用契約かあるいは請負契約ないし準委任契約かは、契約の形式にとらわれず、当該契約当事者間に労働提供について実質上使用従属関係があるか否か、換言すれば使用者の指揮監督の下に労務提供がなされ、一般的な指揮監督下に組み込まれていると評価しうるか否かについて判断して決しなければならない。具体的には、使用従属関係の徴表と考えられる次の諸点、(1)仕事の依頼、業務従事に対する諾否の自由の有無、(2)時間的場所的拘束性の有無―勤務時間(始業および終業時の定め)、勤務場所の指定、(3)業務内容が使用者において定められ、業務逐行過程における使用者の一般的な指揮監督関係の有無、服務規律の適用、(4)労務提供の代替性の有無、(5)業務用器具の負担関係、(6)報酬が労働自体の対償的性格を有するか否か―生活保障給的要素、労働の質に対する較差、欠勤控除、超勤手当等の有無、付随的に給与所得税等の源泉徴収の有無、さらに退職金制度の存否等を考慮すべきである。

本件の場合、まず第一期(昭和四一年八月頃から昭和四三年一〇月頃まで)の原、被告間の筆耕に関する契約関係の法的性質は、前記認定のような契約内容、原告の業務従事の状況等から考えると、原、被告間に右述の使用従属関係があったとは到底認めがたく、原告主張のように臨時雇たる雇用契約とは認められない。むしろ、請負契約ないし準委任契約の関係であったと認めるほかはない。

すなわち、勤務時間、勤務場所の定めは全くなく、とくに拘束時間というものはないし(仕事の納期の関係で、被告会社で徹夜作業をすることもあったにしろ、それはとくに被告の指揮命令下になされたわけではなく、またかかる時間的制約は請負等の契約の下でもみられるところで、拘束された勤務時間とは質的に区別されなければならない。)、被告からの仕事の依頼について諾否は自由であり、他社の仕事をやることについてなんらの制約もなく、原告が仕事の依頼を承諾した場合に、自宅等で自由に作業し、納期までに仕上げればよいというにすぎず、現に右期間中原告の仕事量は全く不定で、相当期間被告の依頼を断って全く仕事をしなかったこともあったこと前認定のとおりであり、被告の一般的な指揮監督下に組み込まれて労務を提供していたとは到底認めることはできない。しかして、それに対応して、筆耕料の支払も、筆耕契約者一率に(専属の者については固定給等の定はあったが)基準単価を定めた上での出来高払制がとられ、これについて月額の最低保証金額や時間外勤務手当、さらに退職金等の定めもなく、給与所得に対する所得税等の源泉徴収もなされておらず、雇用関係にあるタイピスト等の従業員の労働条件とは、截然区別されていたことは前認定のとおりであるからである。

2  次に、本件で問題の、昭和四三年一一月以降における原被告間の契約関係についてみるに、前記認定のような契約内容、原告の業務従事の状況等諸般の事情から判断すると、第一期の契約関係とは質的に異なり、雇用契約であると認めることはやはり困難といわざるをえない。

たしかに、原告は昭和四三年一一月以降主として被告会社の筆耕業務に従事するようになり、その間納期の関係で徹夜作業等もかなりあり、それに対応して筆耕料報酬も増加し、ことに昭和四四年一月以降月額一〇万円前後に達したことは前記認定のとおりであるが、他方、前認定のように原告は被告の専属契約の申込みを断っており、原則として被告の仕事依頼につき諾否の自由を有していたことは否定できず(現に同年六月には、被告の依頼を断るなどして仕事量、筆耕料とも減少した。)、さらに、原告は妻との共同作業もしており、これを被告は容認していたのであって、要するに、妻と共同で作業しても、納期までに仕事を納めれば足りたわけであって、その意味では、雇用契約における、労務提供の非代替性も認めがたいのである(この点は第一期の契約関係の下でも同様であった。)。

また右の期間中、原告は校正、訂正の作業にも従事していたことがあることは前認定のとおりであるが、それも明確に被告に指揮命令の下になしたと認めるに足りず、またそれは一時期にすぎず、被告との交渉の結果おそくとも四月以降は右作業にも従事しなくなったのであって、原告らの右作業従事の点を捉えて、使用従属関係の徴表と認めることは相当ではない。

その他労務提供の諸条件、筆耕料の支払関係等については、前認定のように基準単価が若干上ったのみで、そのほかの点は、第一期の契約内容と同質のものといわざるをえない(なお、原告は昭和四三年一二月末に年末手当の支給をうけた旨主張するか、右金員支給の趣旨が従業員に対する年末賞与の支給とは異なること前記認定のとおりである。)。原告は、筆耕業務は、謄写印刷の工程の一部にすぎず、それについて請負の目的たる仕事の完成ということを観念しがたい旨主張するけれども、仕事の一部について請負(下請負)の契約が成立しえないと解すべき根拠は見出しがたいから、原告の右主張は採用できない。

3  以上検討したところからすれば、原告と被告間に原告主張の頃雇用契約が成立したと認めることはできないというべきである。かりに徹夜作業従事等の点から雇用性格の要素が全くないと断じえないとしても、前記認定の諸事情からすれば、それは稀薄であって、いずれにしろ雇用契約における解雇からの保護、救済という視点から、危険負担の法理により賃金請求権等を肯定すべき契機は乏しいというほかはない。

四  むすび

以上の次第で、原、被告間に雇用契約の存在することを前提とする原告の本訴請求はその余の点について審究するまでもなくいずれも理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用は民訴法八九条により原告の負担として、主文のとおり判決する。

(裁判官 吉川正昭)

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